日本代表のヒストリー
年 | 大会名 | 摘要 | 監督 |
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1999年 | 日本ライトハウス盲人情報文化センター館長である岩井和彦氏が韓国訪問中に同競技を知る。 | ||
2001年9月 | 日本から韓国に同スポーツの視察団が訪れる | ||
2001年11月 | 日本ブラインドサッカー協会の前身となる「音で蹴るもうひとつのワールドカップ実行委員会」が大阪で発足 | ||
2002年5月 | 韓日交流サッカー大会(韓国) | 韓国を訪れ、はじめての国際親善試合(日本代表の初組織化。ただし、当時は競技者=日本代表という段階。)結果は0-0(PK1-2)で敗戦。 | 柳尚武 |
2002年8月 | 日本・韓国・ベトナム視覚障害者サッカー交流大会(日本) | 日・韓・越3カ国の親善試合を、岐阜県高山市、兵庫県神戸市で開催。結果は高山会場で優勝韓国、2位日本、3位ベトナム。神戸会場で優勝日本、2位韓国、3位ベトナム。 | 中坊健司 |
2002年10月 | 日本ブラインドサッカー協会を設立 | ||
2002年11月 | 2002国際視覚障害者サッカートーナメント(韓国) | ブラジル、スペイン、韓国、日本が参加。結果は4位(対スペイン0-3、対韓国2-3、対ブラジル0-7) | 中坊健司 |
2003年11月 | アジア視覚障害者サッカー大会(韓国) | 韓国、日本、ベトナムが参加。日本は優勝。翌年に控えたパラリンピックの予選となるべく、公式国際大会となることを想定していたが、結果として公式ではなかったため、パラリンピックへの出場を逃す(アジアからは韓国が出場)。 | 中坊健司 |
2004年9月 | パラリンピックアテネ大会(ギリシア) | 日本は不出場 | |
2005年8月 | 第1回IBSA視覚障害者サッカーアジア選手権大会(ベトナム) | 韓国、日本、ベトナムが参加。日本が優勝し、翌年の世界選手権(当時はワールドカップと呼称)へアジア代表としての出場権を獲得する。 | 風祭喜一 |
2006年11月 | 第4回IBSA視覚障害者サッカー世界選手権大会(アルゼンチン) | 同じくアジア枠で出場した韓国を7位決定戦で下し、8か国中7位。(参加国は、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、スペイン、フランス、イギリス、日本、韓国) | 風祭喜一 |
2007年8月 | 第3回IBSA視覚障害者スポーツ世界大会(日本) | IBSAが行うさまざまな視覚障害者スポーツの世界大会。日本はIBSAからアジア代表として招待され出場。4か国中4位。だが強豪国スペインを下す快挙。(参加国は、ブラジル、スペイン、アルゼンチン、日本) | 風祭喜一 |
2007年10月 | 第1回IBSA視覚障害者サッカーアジア選手権大会(韓国) | 4カ国中4位。翌年のパラリンピック北京大会への出場を逃す。(参加国は中国、イラン、韓国、日本) | 風祭喜一 |
2008年9月 | パラリンピック北京大会(中国) | 日本は不出場 | |
2009年12月 | 第3回IBSA視覚障害者サッカーアジア選手権大会(日本) | 5カ国中2位。翌年の世界選手権への出場権を獲得する。 | 風祭喜一 |
2010年8月 | 第5回IBSA視覚障害者サッカー世界選手権大会(イングランド) | 10カ国中8位。参加国は順位順にブラジル、スペイン、中国、イングランド、フランス、コロンビア、アルゼンチン、日本、ギリシア、韓国。日本はフェアプレー賞を受賞。 | 風祭喜一 |
2010年12月 | 広州2010アジアパラ競技会(中国) | 5カ国中4位。参加国は順位順に中国、イラン、韓国、日本、タイ。優勝した中国が2012年パラリンピックロンドン大会への出場権を獲得。 | 風祭喜一 |