ご挨拶
ロンドンパラリンピックに向けた最後のチャレンジ
日頃より、ブラインドサッカーにあたたかいご支援をいただき、感謝申し上げます。この度、日本で2回目となる公式国際試合を開催することとなりました。
今回の大会開催にあたり3つほど皆さまにご挨拶を申し上げたいと思います。
ひとつ目は、宿願であるパラリンピック初出場に向ける、私たちの覚悟です。
ブラインドサッカーが日本に上陸したのが2001年、当協会の前身となる「日本視覚障害者サッカー協会」を立ち上げたのが2002年10月。当時は、2004年パラリンピックアテネ大会からブラインドサッカーが正式種目に導入されると聞き、胸を躍らせながら国内での普及と強化を進めておりました。しかし、2004年ではアジア予選が開催されぬまま韓国が出場、そして2008年パラリンピック北京大会では、2007年に開催された韓国でのアジア選手権で予選敗退。日本のパラリンピックへの出場は発足以来、叶わぬままです。
今回の大会は、そのような意味でも選手、スタッフ一同、並々ならぬ熱意と努力をもって臨む大会でもあります。
ふたつ目は、パラリンピック出場が私たちの掲げるビジョンへの大きな一石となることです。
私たちは、「視覚障がい者と健常者がサッカーを通じてあたりまえに混ざる社会」に向けて活動を展開しております。パラリンピックを目指すスポーツゆえに応援されて当然、世界に出場すればそれだけで価値のあるスポーツである、とは考えておりません。本来、遊び・楽しみ・自己実現であるスポーツが、人びとから応援され、支援されるには理由があるはずです。
ブラインドサッカーはまだまだ認知も低く、社会へのインパクトも少ないかもしれません。しかし、私たちのビジョンであるダイバーシティの大切さを社会に広げていくには、競技において成功を果たすことは大きな追い風ともなります。
世界への舞台が、視覚障がい者の生きがいや自立のみならず、見える人たちに価値を提供していく、スポ育プロジェクト等にも、ぜひご注目をお願いする次第です。
みっつ目は、この地でこの時期に国際大会を実施することについてです。
私たちの活動において、これまで宮城県の関係各所の皆さまからいただいた支援はとても大きなものです。毎年、サッカー教室やイベントなどに障がい者サッカーを展開いただく、宮城県サッカー協会。「バリアフリーサッカー教室」と題し、ブラインドサッカー教室を開催いただくベガルタ仙台、そのほか地域の社会福祉協議会や宮城県障害者スポーツ協会など多くの関係者によって活動が宮城に、そして東北にと広がる、拠点となる地域です。
そのような地域で東日本大震災が発生しました。
私たちにも、同地でこのまま大会を開催することには逡巡がありました。しかし、お世話になった皆さまが大勢いる地域であるがこそ、この地で開催しよう、そう心に決めました。
一般的にいえば、「目の見えないこと」はとても不便で、かわいそうな障がいとも言われます。そんな障がいを負っている彼らが、皆さまに何をお伝えし、また逆に彼らが勇気や元気をもらい、世界に挑めるのか。皆さまにご覧いただければと思います。
大会当日にはぜひ、皆さまにお目にかかれることを楽しみにしております。
日本ブラインドサッカー協会 理事長
第4回IBSAブラインドサッカーアジア選手権 実行委員
釜本 美佐子